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漬物を香の物と言うのは何故か
1、香の物は大根漬け
現代では野菜の漬物「香の物」という、漬物の総称になっている。『守貞漫稿』(嘉永6−1853)には、「香の物」とは、
惣ての菜蔬を塩、或は味噌、或は酒粕等に漬たる云ふ也。
とあり、江戸の末期にはすでに現代と同じように、漬物全体の称になっている。しかし、元は生の大根を指して言ったものである。『鳴呼矣草』(文化3刊ー1806)には、
香の物は生大根に限るなり。
と記され、口中の臭気を避ける効果が生大根にはあり、大根が一年中あるわけではないので、漬けて保存するのであると述べている。
2、「香」をよく利き分けるために大根漬けを食べる
香道とは、香木を炊いてその香を楽しむ技能であるが、何の香木かを聞き分けその香木を言い当てる競技ともなり、古くから行われた典雅な遊びである。香合せ、薫物合せとも称される。この聞香を行う前には、臭覚を整えなければならないが、その時に大根の塩漬けや糠味噌漬けを嗅ぐという。『考経楼慢筆』(嘉永3刊ー1850)に、次のようにある。
香の数品をきく時は、鼻、しなをわかつ事あたはず。このとき、だいこん、茄子の塩にしたるをかぐて、香をきけば鼻あらたまり、品をわかつ事、始の如し。ゆえに香の物の名あり。
わかり易い記述である。同様であるが、『関秘録』(発刊未詳。日本随筆大成所載)にも、
糠味噌は人の鼻を開くものなり。されば、香の会にて、先ず糠味噌を出して、次に香を出したる古流も有り。さりながら、喰物を香の席へはあしきもの故か、古来絶えたり。それ故その古流の名残りて、糠味噌の大根を香の物といふ。
と説かれている。香の会では、もともと(大根の)糠味噌を先ず嗅いで鼻の調子を整えたものである言う。そこで、香の物席で事前に使う物という意味から、大根の糠味噌漬けとあからさまに言うのをはばかって、「香の物」と呼んだというのである。
大根は元来、口中の臭気を払うと言われる。『秋斉随筆』には、まず「香ものといふは、根本生大根に極まりたるものなり」「さまざまのもの喰て口中臭気あるを、大根を喰てその香にて消すなり。故に香の物なり」とあり、瓜や茄子を漬けたものは「唯今にても、上ッ方の献立に、これをば香のものといはず、類香といふなり」と述べている。
これらの説を見ると、香の物というなの起こりは、香をきく際に鼻をひらくのに用いたからという説と、口中の臭気を払うからという説と二つあることになる。いずれのしても、大根が関与しているのには、興味が引かれる。
3、「香々」「おこうこ」「おしんこ」とは
今では、居酒屋で飲み食いしながら、漬物を注文する時に「ついでに、おしんこを頂戴」などと言うが、この「おしんこ」という呼び名は、一体どこから来たのか。『守貞漫稿』(嘉永6−1853)28編に、
塩糠にて乾大根を漬けたるを、京阪にては香の物、或は香々とのみ言ふ。江戸にては沢庵漬けと言ふ。
とあり、「香の物」や「香々」は関西系の呼び名であるらしい。また、同5編では、
漬物の惣名を、香の物又かうかうとも言うふ。
とまとめているので、末期には江戸の町でも、漬物のことを「香の物」とか「香々」という呼び名が一般化していることが了解される。
◆香の物へし折って喰ふ壱人もの
大根漬けを包丁で切るのが面倒なので、独身者はなりふり構わず、手で折って食べる状況である。
◆香の物俎で喰ふ壱人もの
これも同様で、皿に盛り付けなどしないで、俎で刻んだまま飯の肴とするのである。
◆木娘はこうこうがありがり喰い
「木娘」は「生娘」と同じで、まだ色気からは程遠く、恥じらいもない娘のことである。ガリガリと噛み音高く「こうこう」を食べる様子である。1700年代中葉の川柳にも、すでに「香の物」「香々」が題材になっている。『玉函叢説』(発刊未詳)に、「香々」についての考察が載っている。
香の物をかうかうといふ。此名は近き世附けたるにや。かうかうとは、幼子の物いひ習う程は、重ねいふを易しとすれば、かうかうと教えたるが・・・・
香の物という呼び名を、言い易いように幼児用に言い換えたのが定着したのだろうという説をあげている。ついでに付言すれば、この「こうこう」に「お」を付けた「おこうこう」は、女言葉として広まったように思われる。
さらに「おしんこ」についてである。これはす推測の域をでないが、「新しい香々」(新鮮な。今漬樽から取り出したばかりの)ということで、「新香々」なり、これに「お」を付けてさらに語尾を省略して「おしんこ」となったのではなかろうか。
ところで、浅漬けの香の物に醤油を掛けて食べることがある。地方によっても異なるが、現代でも必ず醤油を掛ける人がいる。これは吉原遊郭のしきたりから、世間に広まったものらしい。
『明和誌』(文政5序ー1822)に、
香のものにすべて醤油をかけて食するは、中の町余風なり。
蛤が吹く蜃気楼
1、蛤は形の類似から浜の栗
庶民に馴染み深い食料である。『和漢三才圓會』(正徳3−1713)に、
蛤、海浜に在リテ形栗ニ似タリ、故に俗、名ヅク。
とあって、薬効として
五疳及ビ婦人崩漏ヲ治シ、小便ヲ利シ、煩渇ヲ止ム。
と述べる。当時の薬学的な知識がわかる。当時、泉州堺の浦の蛤は、形は小さいが、美味として著名であった。阿波の産は殻が厚く色が鮮やかで、膏薬の器としたり、具合わせの遊具に用いられた。また、参州のものは、殻が最も厚いので碁石の材に使用されている。また、東海道の宿場、桑名の焼き蛤も名物として有名であった。
◆旅慣れぬうちは桑名で口を焼き
名物の焼き蛤をすぐに食べて、その熱さに閉口する。殻まで焼けているので、少し間を置いてから食べるのが常道である。
◆蛤は溜小便を垂れて食い
東海道中の途次、海路で行く。船の中で小便を我慢し、やっと桑名で下船して小便を出してから、名物にありつける。
また、「州蛤」という酢に和した食べ方もあった。
1803)『俳諧歳時記栞草』(享和3−1803)に次のように載っている。
摂州住吉の州さき、蛤多し。漁者とりて殻を捨て、其肉を升に盛りて市に売る。酢に和して是を膾とす。故に州蛤とも言ふ也。専ら正月、賞してこれを食ふ。
さぞや素朴な地元の味がして、美味であったろうと推測される。蛤と庶民たちとの繋がりは、年中行事によってである。まず、春先の潮干狩りである。浩然の気を感じながら、収穫の喜びを味わう。
◆蛤に平目の交じる大当たり
潮干潟で蛤を掘っている時に、浅瀬にいた平目までも収穫となり、大いに気をよくしている情景である。
◆蛤を積むとこ九條あたりなり
雛壇の下の方へ供える。京の都で言えばちょうど九條と通りの辺りに相当する。
◆深閑に雛の蛤落ちる音
真夜中に蛤が動き出して、器から飛び落ちる音がするのである。
◆桃林で蛤の鳴くのどやかさ
雛壇には薄桃色の桃の花が飾ってある。器に入れた蛤が呼吸してキュと鳴く音がする。典雅で長閑な江戸の春の雰囲気である。
2、雨落ちの凹みに蛤殻を捨てる
次は、8月15日の中秋の名月には、蛤を供えてから食べる。江戸の町の習俗である。
◆蛤は月見と聞いて死ぬ覚悟
「いよいよ名月だな」という時期になると、蛤は煮られてしまう。蛤の身に立った戯れの句である。
◆賑やかな音だはけちな月見なり
蛤を洗っている音である。月を賞でながら歌でも吟じるならばまだしも、「おお、賑やかな音だゾ」などと、食い気の方にだけ心が傾いているのは、無風雅であるという揶渝である。
◆晝のようだと蛤の殻を捨て
食べ終わった蛤の殻を塵捨場に捨てながら月を仰ぎ、「なんて明るいんだろう。真昼のようだナ」と言っている場面である。当時は、空気の汚濁が無かったから、清澄な夜空にクッキリと満月が光り輝いていたのである。
◆雨落ちへ捨てろはけちな月見なり
これも無風雅の極みで、食べ物の後片付けに気を回すとは何事かという心情である。当時の庶民の家は、竹の雨樋が屋根の周囲に設置してあるのは少なく、雨雫は屋根から流れて真下の地面に落ちる。そのため地面は、雨が落ちる箇所が溝状になって凹。これをそのままにしておくと、溝はどんどん深くなるので、それを食い止めるために、土を運んで来て埋めたり、藁屑を敷いたり、色々な工夫をしたものである。貝殻は固いので格好の防浸材料になる。そこで、蛤の貝殻を雨落ちの溝に捨てろと指示したわけである。庶民の生活の心情が現れている。
3、婚礼の蛤の吸い物は実を食べない
婚礼の吸い物には必ず蛤を用いる。この習慣は、8台将軍吉宗が制定したと『松屋筆記』(発刊未詳。国書刊行会本)巻53に見える。その理由は、
蛤貝は三千世界えお尋ねても、外蛤貝と合わぬ者也とかや。他の蛤に合はざるは、外の夫に心かよはさぬ貞女、両夫には見えざる戒。
とある。蛤の2枚の殻を外しても、他の殻とは絶対に合わないという所から、「貞女、両夫にまみえず」という意味になるという。婚礼用の蛤の吸い物は、汁だけを飲み実は食べないのがしきたりである。
◆蛤は吸うばかりだと母教へ
「蛤の吸い物はネ、実は食べないで汁だけ吸うだけだからネ」と、経験豊富な母親から、婿または花嫁への伝授である。また、
◆蛤の吸い物を食って叱られる
ということもある。
◆蛤は初手赤貝は夜中なり
これはおと子供にはすかれる著名な句である。吸い物として蛤は婚礼の一番はじめにでてくるもので、次の段階の赤貝は、夜中に賞味するものであるという意味である。貝が女陰の隠語であることがわかれば、自ずから了解される。蜆は幼児のそれ、蛤は娘、赤貝は成熟した女のそれを言うのが、一般的である。
江戸の町での蛤の値段は、『五月雨草子』(慶応4−1868)に「一升、六文」とあり、『守貞漫稿』(嘉永6−1853)には、「小蛤大略一升、価銭二十文」とあって、割に安価であった。
4、蛤の田楽は「千鳥焼」
◆蛤も茄子も鰹も焼けば鳥
という面白い句がある。調理すると、食材とまったく違った名称となるという実例である。焼いて調理すれば、蛤は千鳥焼き、茄子は鴫焼、鰹は雉焼と呼ばれるように、それぞれ鳥の名が付くという謎であり、言葉遊びである。
蛤の伝楽は、串に剥身を数個さして、味噌垂れを付けて焼いたものである。これが通称「千鳥焼」と呼ばれる。
◆蛤は千鳥茄子は鴫となり
蛤は千鳥焼と茄子の鴨焼を同時に読み込んでいる。また、
◆蛤も千鳥と化して味噌を付け
とも詠まれ、味噌垂れを付けることを言っているが、同時に「味噌を付ける」という俚諺を利かせている。「味噌を付ける」は「面目を失う」という意味であり、蛤が味噌を付けて焼かれると名前まで変わり、面目が一新するという洒落である。
生姜。山椒の香味を加えた蛤の佃煮は、「時雨蛤」とも呼ばれる。
◆蛤のしぐれ焼場へ籠で来る
「しぐれ」は、この場合「落ちぶれる」というニュアンスで、人間の葬礼の雰囲気を借りている。佃煮の専門店へ籠で運ばれるということで、「時雨蛤」に加工されることを言う。
5、蛤が気を吹くと出来る蜃気楼
当時、天気に関する庶民の知識は薄く、俗信的なものが多かったが、中でも傑作なものは蜃気楼である。海浜の人たちは、これを目の当たりにして、龍宮城の存在を信じたりもしたが、何故か蛤の気が蜃気楼を描き出すと信じられていた。
◆蛤は欠伸のうちに家を立て
蛤が二枚殻を開いて呼吸すると、それが蜃気楼となって、そこに家が見えるということである。
◆蛤は桃の都を吹いたやう
3月の桃の節句の雛壇である。絇爛豪華な雛壇であるが、これも供物の蛤が吹いた蜃気楼に匹敵するということである。
◆貝の柱で切り組んだ蜃気楼
蛤の気で蜃気楼であるから、映し出された家々は貝柱で構築したのだろうという想像である。
◆運のいい蛤城を吹き出し
蜃気楼を下敷きとして,殿のお手付きとなった女が、男児を産んだお部屋様となった例を言う。この場合の「蛤」は隠語の方の意味である。殿の寵愛を受けて,自分の子がお世継ぎとなったのである。
ともかく,蛤と蜃気楼との関連が珍奇であるが,当時の俗説を知ることが出来る。
参考文献 著者渡辺信一郎 「江戸の庶民が拓いた食文化」
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