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114「江戸を食す」すしの変遷と巻きずしの歴史・知識
すしの系譜(派生的=元になる形からの流れ)
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■馴れずし(ホンナレ)
●日本最古の滋賀県(琵琶湖)のフナずし 奈良時代(715〜806
)1200年前
魚・飯・塩のみで熟成発酵させて酸味を得て、飯(粟・ひえ)は除いて、1年後に魚だけを食べるこれをホンナレという。
すし用フナは魚体が細い。ニゴロと言う。料理ブナは扁平。マブナ・ゲンゴロウと言う。しかし、このように正式の標準品種名とするのは無理。400年前の書籍にも源五郎フナとある。挿話があまりにも有名ゆえに。
挿話(エピソード)で有名になり名前の由来
錦織源五郎
錦織源五郎というお侍が殿様に琵琶湖で取った大きなフナを献上しそれが美味しかったのでこの名が付いたと言います。
源五郎というぐうたら亭主が女房に追い出されて転々としているうちに琵琶湖のフナになったという話があります。
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■生成
●米の無駄はそれがなまなましいうちに食べることが始まった
和歌山県
熊野
地方(せき止め湖・世界遺産の熊野古道)にサバの馴れずし、兵庫県のツナシずし(コノシロの一年子)、アユずしは全国的に行われており、漸次早ずし化しつつある。
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■いずし
●キムチの日本型で、野菜より魚の方が主となったものと考えてよい。
野菜類を多分に混ぜ
元禄2年〈1689〉)など江戸初期の文献に明らかである。
石川県のカブラずし(カブとブリ)、秋田県のハタハタずし(唐辛子や人参)、近江のフナずし、は糀の作用で発酵は促進される。過去の遺物と化、幕末に至るまで、室町時代さながらの発酵ずしの製法を堅持した例もある。
●発酵ずしの衰退
将軍家・大名・公家などの階層でやりとりされた、贈答用のすしである。明治維新後、献上ずしの多くは、かっての名声とは裏腹に、この機をもって、ほぼ消滅した。
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■姿ずし(ナマナレ)800年前の鎌倉時代には長良川のアユずしなど腹にすし飯を詰め、重石をして漬けられていまし創業1652年)
室町時代になると、まず、ナマナレの発生を挙げなければならない。
ナマナレはホンナレに対する語である。ホンナレがしっかり熟成発酵させて飯をこそげ落として食べるのに対して、ナマナレは発酵の早い段階で止め、飯も一緒に食べる。すしが「ご飯料理」になるのはこの時代からである。これは、すしの歴史の中で画期的なできごとである。
この頃には節米意識から米も食べるようになった。
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●600年前の室町時代になると南蛮貿易が開幕し、生活様式が変化し食事も2食から3食になり、米酢が庶民に普及したのもこの時期でした。
京都・伏見の米酢は、清酒が原料の、「白酢」(しろず)。
素材の味と色をなにより大事にする京料理のために、まろやかでやわらかな酢の味わいになりました。
対して江戸では「赤酢」(あかず)酒粕が原料なので、色は赤みを帯び酸味のキツさが特徴。コッテリした味付けの江戸料理が求めた味です。
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●400年前の安土・桃山時代でもアユずしを豊臣秀吉は朝鮮征伐時に糀の作用で発酵を促進させ製造から10日後の丁度食べ頃に届けさせたとも記されています。
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■棒ずし(ナマナレ)
●姿ずしから棒ずしへの移行
もとが姿ずしである。尾頭つきの魚をすしにした場合、頭や尾、背骨などは固くて食べづらい。姿ずしから棒ずしへの移行
そこで、頭も尾も背骨もとって、いわゆる3枚おろしにして、そのおろし身で飯を抱き込ませるという発想が生じる。
これが棒ずしと称されるもので、さらに飯の部分が量的に勝ってくると、棒状の飯の上に魚身を貼り付けた松前ずしやアナゴずしのような形状になってくる。京都のサバずしは焼津のサバを使用している。昆布で巻いて、上を竹の皮で包み、ふきんで巻き締める。
■卯の花ずし
島根県の卯の花ずしおまんずし
オカラを使ったサバ姿ずしで、
風変わりな名前の由来
江戸の「おまんずし」は、宝暦の初めごろ(1750年代)、上槇町(日本橋南通)で長兵衛なる男が始めたすし屋である。後に紀伊国屋と称したが、店主の妻の名前が「おまん」で、時の人気役者で女形の(菊の丞)に似た美人として誉れ高かったため、「おまんずし」の名前は知られていた。
おそらく江戸の「おまんずし」が起源ではないかと思われる。
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■飯ずし
すし飯を主体に、上に魚肉をはったもの
●箱ずしへの移行
切り身漬けの発酵ずしは、酢が使われるようになり、今日的な箱ずしへと発展していく押し抜きすしである。1800年代までは米酢が一般てきであった。
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●大阪の箱ずしは「こけらずし」
「こけら」とは、ひとつには木クズの意味がある。薄切りした魚の身を木クズに見立てたのであろう。典型的な「切り身漬けのすし」であり。もうひとつ、「具材は、瓦代わりの薄い板を並べるように、少しずつ隣に重ねながら置いてゆく」瓦代わりの薄い板を指す意味がある。
箱から抜き出して切り分ける手法で大阪ではこけらずしと称しており2日間という短時間で食べられる押し寿司です。
富山県のマスずし・静岡県の田子すしなどは300年前から有った。
■型入り五目ずし
長崎県大村ずし、山口県岩国ずし
長州藩長門の殿様うならせた長門鮓(静岡市)は桜海老が入っていて珍しさと美味しさで。
わが国の箱ずしの中で最も豪華なすしのひとつに挙げられる
長崎県大村ずしは」
容器は「もろふた」底板がはずれるすし箱はキッチリと押し付けるので、できあがったすしは投げてもくずれないことから、「投げずし」とも呼ばれる。
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■混ぜずし(ちらしずし・五目ずし)
●起こしずし
一方、箱から抜き出して小さく切り分ける工程を省略するために、箱から抜き出さず、さじですくい取る方法も現れた。さじで起こすから「起こしずし」「すくいずし」と呼ばれた
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●混ぜずし(ちらしずし・五目ずし)
ついには最初から押しをかけないすしの誕生に至る。これが、混ぜずし(ちらしずし・五目ずし)である。ここに、押しをまったくかけない、前代未聞のすしが誕生した。発酵ずしのホンナレ、生成、いずし。そして、早ずしの姿ずし、棒ずし、箱ずしもまた。必ず押しの工程があるゆえに、これはすしの歴史の中では画期的なできごとだと言える。
静岡市の長門鮓(静岡ちらしの原型)
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■印籠ずし
イカの印籠漬け、竹の子印籠ずし、白ウリ印籠ずしで空洞の中に詰める
●稲荷ずし
棒ずしの変形
嘉永2年(1849)の随筆『守貞漫稿』によれば天保年間末期(1840年ころ)に、
油揚げの小袋に五目ずしを詰め、「稲荷ずし」「篠田ずし」と称して売る者があっ
たという価格は「最も
賤価
」(いやしい)だった。
●巻きずし同様、「見立て」
「天言筆記」弘化2年(1845年165年前)に稲荷ずし流行と有り、最初はシャリの上に油揚げをのせたもので、あった・・・・」と記載されており、後に袋詰めになったとある。
稲荷ずしもまた、巻きずし同様、「見立て」(=あるものをそれと別なものを表す)に端を発した
当時の発明品で、油揚げは、魚の外皮の代用と見られた。
●稲荷ずしを切り売り
飯やオカラなどを詰めたもの細長い稲荷すしを包丁で8ツ切り、ワサビ醤油で食べるという行為は、魚の姿ずしや棒ずしに通じるところがある。
油揚げの切り方は、東の四角形と西の三角形と、ほぼ日本を二分するかたちで分布を分けている。たとえば四角形の栃木県では「稲荷とは稲の荷物、すなわち米俵の形に仕上げるもの」だという。カンピョウの産地(昔は大阪難波の木津地方)であることが影響してか、いなりずしをひとつひとつカンピョウで縛った「俵ずし」である。
一方、三角形では、三重県で「お稲荷さまの使いはキツネ。
だからいなりずしは「キツネの耳を形取って三角形につくる」という。
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■巻きずし
●棒ずしの派生形が巻きずし
棒ずしと違うのは魚とご飯の位置関係で、棒ずしでは魚身の内側に飯があるのに対して、巻きずしは魚身をご飯で包む。この逆転現象を、当時の人の遊びの心の表れ
簀
の子の上に飯を広げ、魚身を乗せて巻きつけるという今日的な巻ずしは、安永5年(1776)の『新撰献立部類集』が初見えである。棒状になったものを小口から切って食するとあるから、まさに現代と同じである。ただし、「飯めしを広げる前に、
簀
の子の上に海苔または和紙またはフグの皮を敷き、和紙の場合は、これをはがして食べる」との旨が記してある。
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●『名飯部類』(享和2年<1802>)にはワカメで巻いた「メ巻き」が紹介されているし、幕末には、卵焼きで巻いたものも登場する。さらに、芯となる具材も、当初は魚身であったのが、いわゆる精進物にも目を向けられ、嘉永2年(1849)の随筆『守貞漫稿』では、「海苔巻ずしの中身はカンピョウのみ」と解説する。こうして、巻きずしのバリエーションは増えていった。
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●薄焼き玉子で四角に包む茶巾ずし、厚焼き玉子で巻けば伊達巻、油揚げで包んだ稲荷ずし、紀州熊野の漬菜の葉で包んだめばりずし(タカナずしともいう)なども広義の巻ずしに入る。
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●上方と江戸との違い
上方(関西)は「巻きずし」という。江戸(東京)は「海苔巻き」=(浅草海苔)という。
江戸で細巻きが考案されてから太い海苔巻きを「おお巻き」と呼んだ
上方の海苔は焼かない。江戸は焼いた海苔。
江戸の海苔はツヤがあり、パリッとした歯ざわりがある。巻く時はすばやく「巻簀(すのこ&簾=すだれ)」で巻く。
上方の海苔は生(焼かない)だから破れる心配はないのでぬれ布巾に包んで巻く。
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●江戸風の大巻き
江戸風の大巻きは飾り巻きずし(からくりずし)に見られるように派手に巻く。これらの海苔巻きは明治初期に考案された。
即興的で実用的な細工巻でなければならない実用性は昔も今も変わらない。
見て楽しむ嗜好の変化、他業態との差別化等商品性を高める一つの方法と言える。
大阪の
乗水
主悦門下で京都の荒木信次(重兵衛)が一流で、今のすしはあくまでも口に入れるものを忘れず、要点をつかんだアッサリした作品を発表(旭出版))
海苔巻きの芯に工夫をして切った面にいろいろな模様をうきださせる「切出し」がある。四海巻、梅鉢巻、文銭巻などがそうである。
見て楽しむ嗜好の変化、他業態との差別化等商品性を高める一つの方法。
当時、江戸料理は見た目の楽しさを追求するあまり、食べてみての旨さを忘れかけて命取りになったともいわれている。
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●細巻きすし
御婦人が最近は長いまま細巻きすしを切らずに1本のまま食べる人が多くなっているが、あまりチャーミングとは言えない。
しかし食べるには理屈は抜きにして要は旨ければ良いのであるが、
昔から細巻きすしの包丁の約束になっている事は承知しておくことも必要である。
細巻き(かんぴょう巻)は戦前までは三つ切りが普通であった。これを江戸ッ子は遊び言葉でチャンチキ(馬鹿囃しの太鼓の
撥
になぞられて)と呼んだ。
戦後になって一切れ余分になるので四つ切りにするのが常識となった。
何故か判らないがすし屋の先駆者達はオボロ巻は四つ切りの方が旨いと言う
但し、鉄火巻、玉子巻、穴子巻は六つ切りである。
カッパ巻、お新香巻、奈良漬巻は合間に食べるお茶うけ代わり(お菓子がお茶を引き立てるとう意味に転じ、「お茶請け」という語が使われるようになった・・・)といことで巻きずしは1本を八つに切る(八つにおろす)と約束事になっていた。そして、切り口を天地にして出すのが定法である。かんぴょう巻きは切り口を横にして客の前にそろえて出すのがすし屋の定法である。
巻き収めと言って巻きずしを食べてから握りを注文する客がいるがこれは食べ方の邪道である。せっかくの味覚を損じてしまう
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●チャンチキの語源
江戸では和歌囃子を馬鹿囃子と言う
拍子の撥の打つ数が、和歌の文字数の五七五七七と同じであったことから和歌囃子と呼ばれた。その後、洒落好きの江戸人が、和歌と馬鹿の語呂が似ていることから、馬鹿囃子というようになった。
馬鹿囃子の由来は300年前の元禄時代の江戸は、100万の人口を持つ大都市であったが、妻子を国元へ残した参勤交代の武士や、出稼ぎ小商人や若い職人が多く、男性が女性の倍も住む都市であった。自然、公認の遊廓や遊里そして半ば公認の岡場所や飯盛旅籠が増えた。花街が栄えると、農家の若者などにも遊ぶ者が増え、度が過ぎて身を滅ぼす者も出て、社会問題になってきた。
関東の役人は、趣味を持たせることが対策になると考え、京都
囃子
と同じような江戸独特の囃子をつくることにし、大太鼓、2個の締太鼓、笛そして
鉦
(かね)の5人で演奏する関東独特の明るい歯切れの良い調子でチャンチキ、チャンチキと屋台で奏でた。
京都祇園祭りの祇園囃子は「コンチキチン」
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■海苔
●海苔の養殖
江戸中〜後期230年前にかけて、江戸の隅田川よりで浅草海苔生まれた。
それ以降の生産地は品川そして品川がが衰退し大森に移る。浅草は「あさくさのり」の名前だけが残った。(ヒビに付いて9月末頃から成長していく)
江戸に季節的出稼ぎで海苔を地方に売りに出たのは長野県諏訪の人達であった。
淡水湖であつた静岡県浜名湖は500年前の明応6年(1498)の大震災以来海とつながり、その頃からすでに、「あさくさのり」が採取されていた。
遠江舞阪の旅籠で始めて生のりを食べた旅師諏訪の百姓、森田屋彦之丞は大森の生のりと同じだったので文政2年(1819)192年前遠江舞阪に養殖をすすめた。
天保年間(1830〜1843)181年前には清水、江尻にも海苔養殖がひろまった。
今日のようなにぎりずしになってくる始まりは徳川氏が天下を取ってから、主として駿河(静岡県の遠江・府中地方)、三河(愛知県の岡崎地方)といった家康の権力範囲の東海地方からで、そのころは今日みるような「稲荷ずし」と「巻きずし」とほぼ同じ形のもので、旅行者の携帯用便利食として重宝されていたと伝えられています。
大森の海苔は荒川と多摩川と江戸川という3ツの川の真水が入って、淡水の影響は大きく、それと塩水との混じり具合がいい海苔が繁殖するのに丁度良い条件となっていた。
江戸前の魚貝も美味はこの流入のおかげである。
現在も“本場ブランド”を守り続けている産地は江戸湾千葉県富津岬の内房地区で、上総海苔として人気が高く、香りの点では全国一とも言われます。
現在は、佐賀県が生産量、消費量、品質全て日本一である。
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●「ひやかし」の語源
浅草の地には紙すきの工場があって、紙をすいて仕上げるまでに、紙をしばらく水にひたして冷やしておく工程があり、これを「ひやかす」といった。
職人たちはその間暇なので、近くの吉原の遊郭をのぞきに行ったという。
それらを「ぞめき客」(登楼する当てはないが、何となく遊廓内をそぞろ歩きしている男達)買う気もないのにぶらついたり、値段だけ聞いて買わないような「ぞめき客」の行動から「ひやかし」というようになったのだ
すしの浅草海苔も浅草紙のすき方など製造方法を真似て作られましたのでサイズはほぼ同じです。
海苔のサイズ横19mm 縦21mm |